Australia-Japan Research Project

オーストラリア戦争記念館の豪日研究プロジェクト
戦争の人間像
ブナの守備作戦

19421114日、マッカーサーは東部ニューギニアでの戦闘作戦を終結させる目的で、マッカーサーはブナ地域に強固な守備を敷いていた日本軍を攻撃し、そこを奪回するように命じた。以後翌年122日まで2ヶ月以上にわたって、東部ニューギニアの北部海岸にあるブナ地域をめぐり、日本軍と連合軍の激しい攻防戦が繰り広げられた。

連合軍側は、オーストラリア軍とアメリカ軍が協力し、小型船舶や航空機を使った物資の補給路を持っていたものの、湿地帯が広がり降雨量の多い自然の悪条件を前にして、苦戦を強いられた。一方日本軍は、連合軍が予想したよりももっと多数の兵士が守備作戦にかかわり、地理的に優位な場所に強固な塹壕を建設していた。

連合軍の激しい攻撃に対して日本軍は頑強に抵抗したが、戦力の面で圧倒的に優位な連合軍を前にして、死傷者を増やしていった。それでもブナを死守するという姿勢を崩さなかった日本軍に対し、連合軍は次々と増援軍を送り、さら上空の制空権も確保したので、13日までにブナの日本軍はほぼ全滅した。112日には日本軍にとって最後の防衛拠点であったサナナンダも連合軍の手中に落ちたため、第18軍司令官安達中将は112日に退却命令を出した。

ブナをめぐる攻防戦は、両軍にとって地理的、気候的条件が非常に厳しい環境の中で,マラリアなどの熱帯病に悩まされながらの戦闘となり、過酷で犠牲の大きい戦いであった。


Printed on 05/06/2024 06:25:46 AM